So-net無料ブログ作成
  • ブログをはじめる
  • ログイン
前の5件 | -

めげない

「我が身のドジに泣けてしまう…」というセリフが、大島弓子作「さようなら女達」のなかに登場する。主人公は肩を落として手の甲で涙を拭きながら歩いている。これ以上ないとうほど落ち込んでいる。なさけなく、かなしい思いが身体にどよーんと溜まっているようである。

 自分がミスをおかすたびに、この絵とセリフが頭に浮かぶ。
 そしてそういうことが先週に連続してあった。
 
 私は週に二回、体操教室に通っている。自転車で片道十五分ほどの距離を、仕事から疲れて帰った後にせっせと通っているのは、ここに行くと身心がとてもスッキリとするからである。
 この体操教室は火曜と木曜の夜にある。かれこれもう七年以上続けているというのに、先週、月曜日に行ってしまったのだった。
 こんなことは初めてで、到着して電気のついていない建物を見て、ハッと気がついた。曜日を間違えていたわけではなく、私にはその日が月曜日だという自覚はあった。火曜日が生協の配送の日なので前夜にいつも注文書を書いている。私は体操から帰ったら注文書を書かなくては、と考えていたのだった。そのため、よけいにショックが大きかった。
 
 それからその週の金曜日、私は翌週から東京に行く予定があったので新幹線の切符を買いに行った。いつも先にチケットショップで回数券を買い、それを券売機か窓口で指定席付きのチケットに換えるようにしている。
 行きは新大阪から品川まで、最後の日は横浜で泊まるので帰りは新横浜から新大阪までの切符を買わなければならない。これは年に数回のことだがいつも同じ行程でもう十一年目になる。
 チケットショップのカウンターに行くと、新横浜から京都までの回数券が期限間近のため安くなっていた。激安という文字を見て、私はついそれを買ってしまったのだ。なぜか京都が新大阪より西で、横浜からだと新大阪の先に京都があると思い込んでいたのだった。
 そして緑の窓口でその思い違いに気がつき、「どうしますか?」と聞かれたが、一駅分の特急券をよぶんに払う気になれず、帰りは新幹線を京都で下車して普通の電車で帰ることにした。結果的に安くはなったが時間はかかり、しかも京都から大阪まで混んだ電車のなかで立って帰らなければならなかった。
 
 我が身のドジに泣けてしまう…。
と肩を落とす女子高生ではもはやない。私の場合は加齢が原因だろうと思う。けれど月曜日の件は週末の仕事が限界を超えるほどの忙しさだったことも関係しているかもしれない、と自分に言い聞かせた。

 実は先週は他にも小さなミスがいくつか重なった。
 このふたつのことを含めて、すべて自分で解決できるものであったことはまだよかった。
 曜日を間違えればそのまま家に引き返してまた翌日に行くし、京都で下車してもきちんと家には帰ってきた。
 最後はなんだかファイトが湧いてきた。
「めげない!」と心で叫ぶ自分の声が聞こえたのだった。

nice!(0)  コメント(2) 
共通テーマ:日記・雑感

桜の季節

 桜の季節が終わろうとしている。
 今年は今まで生きてきたなかで一番というほどよくお花見をした。いつもすれ違っていただけの麗人と、友達になって会話を交わしたような興奮が胸に残っている。
 
 娘が赤ん坊を連れて一週間以上里帰りをしてきたのである。その時期がちょうど桜の開花と重なったのだった。普段は自転車で行くスーパーマーケットへも、ベビーカーを押してゆっくりと歩いて行った。途中に桜の並木があり、立ち止まって見上げると、青い空を背景にほんのりピンク色に染まった花が重なり合って咲いていた。
 清楚でありながら内に秘めているものがある。桜のこの美しさは人の心を救ってくれるように思える。
 
 ほとんど毎日、娘と孫を連れて散歩に出かけては桜の下で時間を過ごした。近所の奥さん友達を誘うこともあった。
 日曜日は絶好のお花見日和だったので、近くの公園へ、お弁当を持って家族全員で出かけることになった。
 マラソンコースがある大きな公園が人で溢れていた。みんなシートとお弁当を持って桜に逢いに来ているのだった。有料の植物園の中に入り、奥の方まで歩いて行くと木製のテーブルと椅子が空いていた。池を囲むように芝生があり、見事なしだれ桜を眺めながら私達は幸福な時間を過ごしたのだった。
 私は早起きしておにぎりやサンドイッチを作り、卵を焼き、きんぴらゴボウやウィンナーやからあげなどをお弁当箱に詰めたのだったが、その労苦は充分に報われたように感じた。
 
 十一ヶ月になった赤ん坊は、この日、両手を父母に引かれて初めて数歩歩いたのだった。昨年の今頃はまだこの世界にいなかった子である。それがこうして確実に成長して、目に見えないものさえも敏感に感じ取っているようだった。
 
 数日後、今度は父を連れて同じ場所を訪れた。姉と二人で交互に車椅子を押しながら、同じコースをたどって同じ芝生のテーブルの椅子に腰掛けた。この日も晴天で、しだれ桜は美しく咲いていた。このときは三人でお花見だんごを食べた。
 今は老人ホームに入所している父は若い頃から長く鉄工所をしていた。自動車1台にひとつだけ使うような小型の特殊ナットを切っていたのだった。
 私はその数日前に偶然にもナット型のチョコレートをみつけたので、それを見せると、父は指で掴んでしげしげと眺め、
「三分五厘くらいやな」
と言ってぱくりと食べた。
 この漢字で合っているのかはわからないが、それはナットの大きさの単位で私や姉も子どもの頃から聞き慣れている言葉だった。
「面取りはしてないね」
と私が言うと父も姉も笑った。
 ナットの穴の縁の角を取る「面取り」の作業はひとつずつ手動でしなければならず、その注文が来ると夜なべ仕事が続くことになる。
 ナット屋の親子でなければわからない会話だった。
 
 明るい日差しの下で父と姉が並んで座っている姿が私の目に焼きついた。
 今年の桜の季節のふたつの出来事である。

nice!(0)  コメント(1) 
共通テーマ:日記・雑感

トルコランプ

 トルコランプ作りに凝っている。昨年の秋に東京のトルコランプ屋さんで初めて手作り体験をした。菱形、三角、四角のガラスとビーズを透明の丸いランプの土台に貼り付けていくのである。色とりどりのガラスを使ってさまざまなデザインのものを作ることができる。連れて行ってくれた友人はすでに数個のランプを作って家に飾っており、どっぷりとハマっている様子だった。二時間ほどで仕上げた後、石膏で固めてもらい、数週間後に完成品を受け取るのである。遠方の場合は送ってもらうことになる。
         
 時間が足らなくなるから事前にどんなデザインにするか決めておいたほうがいいよ、と言われたのでネットで検索してみると、もの凄い数の画像が出てきて私はその美しさに圧倒された。どのデザインも素晴らしくいくら見ていても飽きなかったが、初めてなのでシンプルなものにしようということだけは決めて行った。実際にお店で実物を目にし、準備されたガラスの色を見るとまたいろいろなイメージが喚起された。とても集中し、夢中になって作ったのである。15人ほどが入れるスペースだったが予約が取れないほどの人気だという。
 
 その体験があまりに楽しかったので、大阪でもできるところがないか探してみると、トルコ文化センターというところに体験講座があることがわかった。ランプはひとつ作ると次々と作りたくなるのである。それで友人達を誘って行ってみると、こちらはトルコの文化を紹介するための講座という感じで、ゆったりとしたテーブルと椅子で5、6人の受講者がトルコ人の先生の指導を受けながら、好きなだけ時間をかけてランプを作っていくのだった。途中で三回もトルコのお茶をサービスしていただいた。やはり石膏で固めてもらったものを後日取りに行った。

 トルコランプは作ったとき、石膏で固めたとき、灯りをともしたときとイメージががらりと変わる。それがおもしろくて、また違った雰囲気のものを作りたくなるのである。色を絞ると神秘的になり、たくさん使うとパワーが溢れてくるような仕上がりになる。
 私はその後、東京と大阪で一個ずつ作ったので計4個になったが、まだまだ作りたいと思っている。
 
 このトルコランプに関わることで私は自分の周囲の人達が二種類に分かれることに気がついた。まずトルコランプをひと目見て「私も作りたいー」と声をあげる人達と、全く興味を示さない人達がいるということである。これは好みなので別にどちらでもいいけれど、感覚が近いというバロメーターになった。
 もうひとつ、トルコ文化センターで開催中のランプコンテストについても二つのグループが見られた。センターで1月から3月末までに作られたランプはフェイスブック上に写真が公開され、1週間以内に「いいね!」を多く獲得した順番にコンテストの一次審査通過が決まることになっている。そして二次審査で三位以内に入るとトルコ絨毯やトルコ石のペンダントが景品で貰える。そんな話を職場でしていると、同僚のYさんが、
「それはフェイスブックでないと投票できないのですか?」
と尋ねてきた。
 私は彼女がフェイスブックをやっていないことを知っていたので、「ええ、そうなんですよ」とだけ答えたのだったが、彼女はそのためだけにわざわざフェイスブックを始めて、私のランプに一票を入れてくれたのだった。口約束だけで実行してくれない人がいても傷つかないつもりだったが、これは素直にうれしかった。
 また他にも取引先のMさんが同じようにして投票してくれた。
 
 私がどうしても入賞したがっているように思われたのかもしれないが、「いいね!」をしてくれた人達の中に二人の名前を見ると、私は胸がジーンとして感謝の気持ちでいっぱいになった。
 大切にしなければならない友人がわかる契機になったのだった。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

あかぎれ

 年に数回、指にあかぎれができる。
 季節に関係なく、ある日気がつくと両手の親指の先から人差し指の先までのU字のラインに集中していくつもあかぎれができているのである。
 最初は皮膚にひびが入り、次第に深くなって血が滲んでくる。こうなるととても痛い。
 絆創膏を貼って日々を過ごすことになる。引き出しにはいっていた前回の残りがなくなると薬局に絆創膏を買いに行く。特に銘柄は決めていないので売り場で選ぼうとすると、これほどたくさんの種類があるのか、と驚かされる。安価で数がたくさん入っているものは薄くてはがれやすい気がする。丈夫で水が滲みず薬成分が塗布されているものなどは高価である。品質と枚数に対して値段が絶妙に設定されているのに感心する。
その時のお財布の中身と、自分の切羽詰まり度を考えてちょうどいいのを買って帰る。買ってしまうとあとはその絆創膏にひたすら頼る。

 洗い物をするときは絆創膏だけでは無理なのでその上にゴム手袋をしないといけない。ゴム手袋の売り場に行くと、これもまたピンからキリまで、という感じでたくさんの種類が並んでいる。裏側が起毛のようになっている高級なものを以前買ったことがあるが、あれはとても心地良かったなぁ、と思い出す。けれどここでもお財布と相談である。
 洗い物の時と違ってお風呂には手袋をはめて入れない。それで手をお湯につけないようにするが髪を洗うときはどうしようもない。力尽きた絆創膏をお風呂上りに取り替えるのが習慣となる。
 あかぎれは、治ってきたかな、と思っていると、翌朝突然ひどくなって血が出てきたりする。症状の出方に整合性がないのである。この繰り返しが続くと気持ちがすさんでくる。
 落ち込んだ気持ちで、何が悪いのだろう、と原因を考えることになる。
 
 洗剤はたいてい同じものを使っている。これも一応、「肌に優しい」と書かれた少し高価なものに変えてみる。シャンプーや石鹸もいつも同じのを使っている。手荒れの原因を調べてみると、栄養が不足して指まで届かないからだ、とある。ビタミンAやカロテンを含む食物、レバーやニンジンなどを摂るといいというので、意識して食べるようにする。
 もしかしたら、何かのアレルギーかもしれない、と思って原因になっていそうなものを考えてみる。買い物のときは、国産という表示や添加物に気をつけるようになり、多少高価でもそういうものを買ったりする。
 しかしそれでも一向に良くならず、治りかけたりひどくなったりが続く。
 ひどくなるには絶対に原因があるはずである。けれどそれがわからない。筋が通らないことに再び気持ちがもやもやしてくる。
 結局、市販の薬を買って塗ったのが効いて、私のあかぎれは嘘のようにあっさりと治ったのだった。
 人間の身体というのは理屈が通らないことがいっぱいあるのだろうな、ということで納得する。宇宙人に人間の常識が根本的に通用しない場面などを想像する。
 
 これが年末の話で、年が明けてから、今度は唇が荒れはじめた。唇全体が乾燥して皮がめくれるようになり、口角が切れて、口を大きく開けられない状態になった。馬油やリップクリーム、薬を塗っていると1週間ほど前から治ってきてホッとしているところである。
 ちょうど一週間ほど前から、私は普段よく飲んでいた無調整の豆乳を飲まなくなり、風邪対策のヨーグルトドリンクを飲み始めた。少しは関連があったのかな、と思っていたら、口角炎はウィルスが原因のこともあるという。免疫力の低下、ストレス… などさまざまな要因があるらしい。
 そういうことが原因で起こっているものなのに、薬で治して平気な顔をしていてそれでいいのかな、という思いが残る。

 
 とにかくバランスの良い食事を摂って、よく眠り、ストレスをためないことがたいせつということです。むずかしいことかもしれないけれど、時節柄、どうか自分を大切にしてくださいね。

nice!(0)  コメント(1) 
共通テーマ:日記・雑感

自分で決めていいこと

 早い早いとは聞いていたが、実際はそれほどでもないだろう、と思っていたらやっぱり早かった。というのが今の気持ちである。この1年の時間の過ぎていくスピード、特に11月12月があっという間だったように感じる。
 今年も残りあと2日となった。12月に入ってひいた胃腸の風邪と闘いながら絶対に休めない仕事をすべて終えた。今は体調も良くなって暮れの大掃除と新年の準備に集中しているところである。
 
 今年最後のゴミ収集日に向けて家のなかの不用品をかなり思い切って捨てていった。長い間着ていない洋服や本、書類などである。どんどん捨てているとそれが快感になってきて自分がそういうモードに入っていることがわかる。
 家の二階にあるクローゼットの一番上の棚に「厚美 手紙」とマジックで書かれた段ボール箱が載っていることは知っていたけれど、これは30年以上あけたことがなかった。
 30年も自分にとって必要なかった物がこの先必要になることがあるだろうか、と考えてこの中身も処分しようと思いたった。
 踏み台に乗って降ろした古いみかん箱はずっしりと重く、変色して崩れそうになっていた。

 中には昔の手紙や年賀状などが入っていた。私が結婚するまでに受け取ったものである。ザーッとゴミ袋に入れるつもりだったが、重いのでいくつかに分けることにした。紙袋をみっつ用意して少しずつ入れていった。
 古い手紙はなんだか気恥ずかしくて読まずに捨てようと思っていたけれどふと目に留まる何通かがあり、結局、封筒から出してみることになった。肉眼では読めないのでわざわざ階下に老眼鏡を取りに行くことになってしまった。
 
 高校時代の同級生で、お父さんが亡くなってお母さんの故郷である長崎県の五島へ転校していった男子生徒がいた。彼は引っ越し先の生活に馴染めない様子を便せん5枚にぎっしりと綴っていた。  
 私の頭のなかにこの手紙を受け取ったときのことが鮮やかに蘇ってきた。彼が防衛大学に進学したということだけは聞いたおぼえがあるが、今はどうしているのだろうか。
 その他に小学校と中学校卒業時に友達に1ページずつ書いてもらったサイン帳があった。中学時代に憧れていたバレー部の上級生の写真や、高校時代につきあっていた人の写真、大学生の頃に親しくしていたテント芝居の役者さんたちの写真もあった。
 結婚したばかりの頃はまだそういう物を強くひきずっていたことがわかった。30年以上の年月が流れて、あの頃の自分とは細胞が入れ替わってしまって、今は同じ私ではない。
 しかしすっかりその存在を忘れ去っていても、「うわぁ、これは捨てられないな」という強い実感があった。
 
 一番下には蓋つきの木箱が入っていた。この箱が重かったのである。これにも見覚えがあった。
 中を開けてみると、大学の合格通知が入っていた。中学高校の生徒手帳もあった。それから予備校時代の添削指導の答案がすべて残してあった。
 予備校では2教科の添削指導がカリキュラムに組み込まれていた。私は苦手な英語は一番基礎のコースを、得意の国語は一番難しいコースを選んでいた。これは辞書を使ったり図書館で調べたりして提出していたのでいつも満点に近い点数で順位も高く、とても自分の励みになっていたのだった。
 順位発表の際は名前のあとに出身高校が提示され、特に進学校でもなかった私の高校が名だたる有名校の上に載っているのがとりわけうれしかった。そんなこともあってむきになってやっていたので添削指導では年間の優秀賞となりラジオをもらったことを覚えている。
 
 崩れかけの古い段ボール箱から、ふいにそんな自分が出てきたのである。
 これを後に残しても何にもならないことはわかっているが、どうしても捨てられないものだけをその木箱に入れてとっておくことにした。
 別に誰にとがめられることもない、それは自分で決めていいことだから、と思うと爽快な気分になった。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感
前の5件 | -

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。