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ピーターラビット展

 ビアトリクス・ポター生誕150周年記念のピーターラビット展がグランフロント大阪で開催されている。
 昨年の9月に東京で始まり、各地を巡回してやっと大阪にやってきた。湖水地方を一緒に訪れた二人の友人と前売り券を買って心待ちにしていたのである。
 グッズがすぐに売り切れるという噂を聞いていたので、始まって3日めに行ってきた。

 本国のイギリスでも生誕150周年の記念の年なので、そんなときに外国に貴重な資料を貸し出すだろうか、という懐疑的な気持ちで見に行ったのだが、予想以上にたくさんの原画が展示されていて驚いた。
 現地のビアトリクス・ポター・ミュージアムは、彼女の夫ヒーリスさんの弁護士事務所だった建物だから展示スペースはとても狭いのである。ナショナル・トラストが管理している原画は膨大な数なのでそれを取り替えながら展示している。
 私がそこを訪れたのは昨年が三度目だったが、二度目までは白黒のペン画が多かったのに対して、昨年はさすがに記念の年ということで有名なカラー作品がいくつも展示され、きれいなパンフレットも用意されていた。

 今回の展覧会では、絵本ごとに原画が並べられていて、本を読んでいない人でも内容を理解できるようになっている。また、描かれはしたが実際には本に使用されなかったという絵もあって興味深かった。「本物に会える。」というのがこの展覧会のキャッチコピーだが、確かに見慣れた絵の本物がたくさんあって見応えがあった。
 私には、たまねぎ畑でおなかに手を置いてこちらを向いて立っているピーターの絵(このブログの時計に使用中)が特に印象に残った。この絵は携帯の待ち受けにしており、本や製品で何度も目にしている。しかし実際はとても小さいサイズの絵だった。ポターは子どもの手に合わせた本の大きさにこだわったというが、考えてみればミニサイズの絵本のために描かれた絵なのでこの大きさなのは当然のことだった。

 とても丁寧に繊細に描かれている。集中してエネルギーを注ぎ込みながら細部にこだわって描かれているのがよくわかる。生半可な気持ちではこれほどの作品はできない。どの絵も美しくて、100年前のものとはとうてい思えなかった。
 私はすべての絵に思い入れがあるが、アヒルのジマイマが背中にショールを羽織って横向きに立っている絵は、何度見ても完璧な立ち姿だなと感動する。

 ポターが仕事場にしていたヒル・トップの家のなかを再現してあったり、オフィシャルサポーターのディーン・フジオカさんが実際に湖水地方を訪れた映像も見ることができた。
 私は奮発して彼の音声ガイドを借りたのだったが、耳元であの声がささやくように説明してくれたり、本の原文を読んでくれたりという値打ちのある体験をした。

 グッズ売り場はやはり盛況で、150周年記念のものもそうでないものもありとあらゆる製品が並んでいた。私はこのために貯金をしていたので缶入りのお菓子やクリアファイルやマスキングテープやハンコなどを買った。
 以前、キャラクターショップで「ピーターラビットのものはありませんか?」と店員さんに尋ねて怪訝な顔をされたことを思い出した。彼女はピーターのことを聞いたことも見たこともないという様子だった。

 あまり知られていないというのも寂しいが、有名になり過ぎるのもちょっと悔しい。そんなファンの微妙な心理をかみしめているところである。


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逢沢りく

「逢沢りく」上・下(文藝春秋社刊)というマンガを私は昨年末にはじめて知った。小倉の文章講座の帰りに土砂降りの雨の中で立ち寄った北九州マンガミュージアムで偶然手にしたのである。
 2015年の手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞しているというから、よく知られた作品には違いない。ミュージアムでは半分しか読めなかったので帰ってから図書館で借りて読み、これは自分で持っていたいと思って買うことにした。
 以前から「きょうの猫村さん」という癒し系のマンガがあることを耳にしていて、いつか読みたいと思っていたのだったが、どちらも同じ「ほしよりこ」という人の作品だった。

 私は大阪で生まれ育ったので、大阪弁を話すし、ボケとツッコミ、話にオチをつけるといった独特の文化にも馴染んでいる。自分の失敗をおいしいと感じる気持ちもわかる。関東の人々がそういうものに違和感だけでなく嫌悪感を抱いていることを知ったのはここ数年のことである。
 逢沢りくは東京の意識高い系母親のもとで育った中学生の女の子で、大阪に住む父方の大叔父夫妻への嫌悪感を母から植え付けられている。それなのに彼女はたった一人でその大叔父夫妻の家に預けられることになってしまうのである。
 クールで、いつでも自在に涙をながすことができるという特技を持っている彼女は、こてこての大阪人の一族に囲まれて過ごすことで、その特技を失う。そしてかわりに自分の生の感情を取り戻していくのである。

 東京での母娘と父、その若い愛人との息の詰まるような関係ももちろんだが、大阪下町のごく一般的な家庭の様子が本当によく描かれている。よくわかってるうえに、その描き方がうまいなぁと感心する。作者は京都在住だということだが、ここには大阪人への深い愛情が感じられる。
 特に後半、りくを慕っていた親戚の幼い男の子トキちゃんが入院し、りくがある事情でしぶしぶ連れてきた小鳥がトキちゃんの言葉をしゃべり始めるあたりから、りくの周囲に大阪弁がつみ重ねられていく過程は凄まじいものがある。ここがとてもうまい。それらの言葉すべてが彼女への思いやりに満ちた記号になっているのである。

 私が個人的に好きなのは、東京で学校の教師達を惑わせてきたりくの涙を見た大阪のおっさん教師が、
「あれは嘘泣きや」
と、ひと目で見破る場面である。
 それともうひとつ、母親がりくから送り返された大阪の中学の制服を着て、ひとりで店にはいってラーメンを食べる場面である。読んでいないとわかりにくいと思うが名シーンである。

 小倉で私は村田さんから「いしいしんじ」という作家を教えてもらった。それで年末からずっと彼の本を読んでいるのだが、その中には中島らもとの対談集(「その辺の問題」)もあった。中島らもは私にとっては基本と言える作家である。いしいしんじのエッセイには彼の前に読んだ「スッポン心中」の作者である戌井昭人との交流が書かれていてハッとしたが、読み進めていくうちに、ほしよりこの名前も出てきた。二人は友人のようなのだった。ここ数か月間、私の頭を占めていた人たちがつながって輪になったような不思議な感じだった。

 「その辺の問題」のなかには、中島らもが萩尾望都のマンガを読んで泣いたという話があった。それは「アメリカン・パイ」という私の大好きな作品で、そのことにもとても驚いた。貴重な新発見だった。
 


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ふるさとのゼッケン

 毎年1月初めに行われる区のカルタ大会に25年以上も連続で出場している。
 それが年を追うごとに生活の一部になっていることを感じる。
 昨年はそんな自分を後ろめたく思う気持ちがあったが、今年はそういうこともなかった。文章を書き、本を読み、ご飯を作り、洗濯を干して、仕事に行き、その帰りに自転車で区民ホールに行って試合に臨んだ。ニンテンドーDSで練習もしたが枚数にこだわるのはやめて取り間違いをしないという正確さを心掛けることにした。思えば今までの私はかなりの気合いを入れて試合に出場してきたものだった。いつも友人達にメールで日時を伝えて、
「どうか私にパワーを送ってください」
とお願いをした。するとありがたいことにたいていの人が競技の開始時間に合わせて激励のメールを送ってくれたのだった。
 今年は前夜に体操教室の先生から、私の両腕がよく動くように呪文をかけてもらった。当日は仕事を早退したので同僚たちが、
「がんばってね」
と言って送り出してくれた。
 そういう優しさに包まれて、私はとてもナチュラルな感じで試合に向かうことができたのだった。チームの他のメンバーはいつもこうだったのかな、私だけ特別だったのかなと思った。

 昨年は下位のチームと対戦して3位だったので、今年は4位の強いチームとの対戦だった。おそらく負けるだろうが、ベストを尽くして悔いのないようにしようという気持ちだった。
 もちろん緊張はしたけれど、私はいつもより冷静に落ち着いた状態でいられたように思う。しかしいつもと同じように競技に集中し、読み手の初めの一音に耳を澄ませたことには変わらなかった。
 結果は2勝2敗だったが、枚数で相手を上回って5位という結果だった。そうして今年は帰りに苺のパフェを食べたのだった。

 この大会は区内の各町会単位で3人2チームを作って出場するものである。私は自分の住む町の名前を背負って出ているのである。町会長さんや婦人部長さん達が応援に来てくださる。他の出場者達も同じである。みなそれぞれの町を代表している。偶然その町に住んでいるのだけれど、住んでいるからにはやはりその町を背負うのである。

 もうすぐ京都で都道府県対抗女子駅伝がおこなわれる。私は大学生の頃にたまたま京都でこの駅伝を見てとても感動したことがある。長距離選手独特の無駄なものがそぎ落とされたような肢体をした少女らが生まれ育った土地の名前を背負って必死に走っていることに感銘を受けたのである。個人の名前だけで走るのとは違うプレッシャーがあることは明白である。
 それでこういう歌を作ったのをおぼえている。
「ふるさとのゼッケンをつけた少女らの米を食べたる胸のふくらみ」

 テレビで芸能人が出身都道府県別に分かれる番組を見ると、ああこの人はあの県の出身だったのか、とはっとすることがある。同時に、誰も自分の出身地から逃れることはできないんだな、と思う。
 以前は紅白歌合戦で出場歌手の名前のあとに出身県が表示されていたがいつのまにかそんな慣習は消えてしまった。「ふるさと」の歌詞にある「こころざしを果たして いつの日にか帰らん」という言葉がひのき舞台に立つ歌い手に重なってうるっとくるということもあるが、そんな縛りが必要ないとするほうが楽は楽かもしれない。

 私自身は強い期待やプレッシャーを感じたことは一度もなく、自分のペースでのびのびとやらせてもらっている。

 とにかく、今年も無事に終わってよかった。


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一年越しの会話

 新しい年になった。
 まるい輪っかの一か所に赤い紐が結んであって、一周まわってそれを過ぎるとまた新しいスタートだという印になっている。私にとってお正月というのはそういうイメージである。
 その前後の数日間というのは空白地帯のようになる。仕事が休みになり、解放された身になって家じゅうをきれいにして、お正月を迎える準備をする。そして年が明けると神社にお参りに行って新しいお札やお守りを賜る。それからしばらくは家族や親戚が顔を合わせる特別な期間である。その間はいつもと違う自分になっているような気がする。

 私はお正月が好きでも嫌いでもないが、普段のペースが変わるのはちょっと苦手な気がする。
 調子よく漕いでいた自転車のペダルをいったん止めなければいけない気分である。でもやっぱり暮らしにはそういうけじめが必要なのかな、とも思う。

 お正月には年賀状のやり取りがある。年賀状を受け取るのはうれしいので12月のうちに自分でも書いてポストに入れておく。年賀状は前年に受け取ったものを取り出してきて、それに返事を出すように書いていく。宛名は手書きで裏面は印刷する。絵柄は数種類用意して相手によって変えている。そして手書きで一言を添える。
「目の手術をしました」
と書いている人には、
「目の調子はいかがですか?」
と書く。
「一度会いたいですね」
と書いている人には、
「今年は会えたらいいですね」
と書く。

 一年越しの会話をしているようである。
 学生時代の友人のなかには、30年以上顔を合わしていない人がいる。年賀状だけの繋がりである。相手も一言、私も一言。それだけだけど、それでもやっぱり出し合うのである。

 明日から仕事が始まる。
 私はお正月休みの間に夜型の遅寝遅起き人間になってしまっている。
 明日は早朝に起きられるだろうか。それが物凄く心配である。
 もし起きられても、明日は一日じゅう身体がだるいだろう。
 おそらく頭もぼんやりしているだろう。

 自転車の漕ぎ始めは力がいるものだから、なんとかやり遂げないといけない。
 そうして早く普通の自分を取り戻したい。


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村田さんからの電話

 ひと月と少し前の夜、一本の電話がかかってきた。
「もしもし」
という聞きなれない女性の声がした。夜の7時半頃のことである。
 これが村田喜代子さんからの電話だった。
 私は言葉が出なかった。あの「屋根屋」を書いた作家の村田喜代子さんからの電話である。
 
 今年の夏に神戸で村田さんの講演会があった。私は主催団体の理事をしていて、先生を新神戸駅まで迎えに行き、そのまま付き添ってお世話役のようなことをした。
 村田さんは私の一番好きな作家で、著作のほぼすべてを読んでいるので適役ということになったのだった。ファンレターを出したり講演会を聞きに行ったことはあるが、先生と実際に喋ったのは初めてだった。
「今、なにか書いてるの?」
と聞かれたので、私はその時に書いていた「フランス刺繍」という作品について悩んでいることを話してアドバイスをもらった。

 電話は、その作品が掲載された雑誌が出来上がって村田さんに送った結果だったのである。何度かのやり取りがあり、私は福岡県の小倉でおこなわれている村田さんの文章講座に新たな作品を持って参加することになったのだった。その日以来、私は仕事以外の時間をすべて費やして没頭し原稿用紙約20枚の小説を仕上げた。

 書き続けていれば、こんなことがあるんだなぁ、というのが正直な気持ちである。
 30年近い片思いが少し報われたのである。私は彼女にならどんなことを言われても納得できるし、その言葉を宝物のように受け取ることができる。そんなふうに思える人がいることは有り難いことだと思う。

 昨日、その小倉から帰ってきたところである。
 実は私は12月半ば頃から胃腸の具合がよくない。こんなことはめったにない。初めは食べ過ぎによるものかと思ったが、胸のむかつきがなかなかとれないので、職場で流行っている吐き下しの風邪が伝染ったのかもしれなかった。小倉へ行く前夜は特にひどく、何も食べられないばかりか病院や薬局に行く気力もなかった。このまま治らなかったらどうしよう、と思って眠ったが、朝にはなんとか落ち着いていた。茶粥と梅干を食べて出かけた。小倉に着いてから胃腸薬を買って、あとは気合いで乗り切った感じである。

 そうして今日もまた茶粥と梅干の一日を送っている。だけど身体はヘロヘロでも頭の中はすっきりとしている。
 一本の電話で変わったのは私の気のありようである。
 自分のよしと思うものを書いていけたらそれでいいと思っていたのは、そうするしか道がなかったからである。そこに新しい道が現れた。それなら行けるところまで進んでいこうと思う。

 それにしても、一年の終わりにこんなことが起こるとは。ほんとに何があるかわからないものである。


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