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不死鳥伝説

 「不死鳥(フェニックス)伝説」は山口百恵が引退前に「さよならの向こう側」と同時リリースした曲である。当時、私は高校生だった。彼女の引退に強い関心を持っていたが、マスコミがあまりに騒いでいたので、その波に乗せられているようなのが嫌でじっと黙って成り行きをみつめていたのだった。
 
 ただ、この「不死鳥伝説」という曲を歌う山口百恵には違和感があった。歌詞のなかに、「よみがえると約束するわ」というフレーズがあったからである。
 実際には同名のミュージカルのために作られた歌だと今回調べて知ったのだが、当時の私は、彼女はこのフレーズをどんな気持ちで歌っているのだろう、と考えていた。
 人気の絶頂期にいながら、固い引退の意志を通そうとしている彼女はおそらく芸能界への復帰はいっさい考えていないだろうと思われた。この歌詞はそれを望む周囲によって無理やりに歌わされているものではないか、という気がしていたのである。
 
 蘇える気持ちはないのにそんな約束をさせられている不死鳥の悲哀。けれどそれを最後の仕事として淡々とやり遂げようとしている。そんなふうに見ていたのである。胸の中の葛藤を無表情に抑え込む姿は強く鮮やかに見えた。私は彼女がこの歌で引退していくならそれはそれでかっこいいな、と思っていた。「さよならの向こう側」は素直過ぎてあまり好きではなかったのだった。
 彼女の引退は当時の芸能界やマスコミとの戦いのように感じられた。復帰は敗北を意味するが、彼女は今も見事に勝ち続けている。
 
 それが近頃、彼女の息子が母親の歌をカバーしてテレビに登場している。山口百恵という存在に対する飢餓状態が今も続いているマスコミと大衆が彼を受け入れている。母を語る彼の言葉にみんな興味があるのである。
 私もテレビで彼が歌っている姿を映ると目をとめてしまう。
 そして、彼は納得して歌っているのだろうか、と考えているのである。
 葛藤がないわけはない。
 さまざまな事情や思惑を抱え込んでステージに立っているのだろうと思ってしまう。
 
 
 けれどやはり血の繋がりというのはすごいもので、その顔に母の面影が重なる瞬間がある。特に笑顔が似ているように感じられ、見入らずにはいられない。
 不死鳥伝説の歌詞は、「よみがえると約束するわ あなただけの胸にふたたび」と続く。確かに彼女がもどってきたような錯覚があの時代を知る者の胸におこる。
 
 今は母のヒット曲をカバーしたアルバムをリリースしたところだから露出が多くなるのも当然だろう。でもこれが落ち着いたら彼も弟のように俳優の道をすすめばいいのではないだろうか。
 大きなお世話かもしれないけれど。

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赤い自転車

 子どもの頃から自転車とは切っても切れない関係である。生まれ育ったのが駅から遠く離れた農村地帯だったので、どこへだって自転車で行っていた。高校は片道25分ほどの自転車通学だった。大学生の頃も駅まで自転車に乗っていた。結婚して子どもができてからは前後に乗せて走っていた。今も仕事先まで往復1時間自転車を漕いでいる。
 1台の自転車にだいたい10年近く乗るのが普通である。それぞれの自転車に独特の癖があり馴染むと愛着がわく。自転車置き場でもすぐに自分のものをみつけられるようになるのである。
 
 数日前に、自転車を買い替えた。
 ちょうど10年乗った自転車は深い緑色で、茶色いかごが付いていた。前の職場の近くで買ったのだった。タイヤを数回変えたし、何度か修理をしてもらった。数か月前にサドルカバーが破れて、知らずに座っておしりがびしょ濡れになった。屋根のない場所に置いているので夜の間に降った雨がサドル内部に溜まっていて、それが滲み出てしまったのだった。
 それ以来、雨の後はビニール袋をかぶせるようになった。スーパーでもらう袋でこれはちょっと恥ずかしかった。タイヤの状態も悪くなってきていたので交換してついでにサドルカバーも買わないと…、と考えていた。
 
 それが自転車本体を買い替えることになったきっかけはちょっとした心の揺れのようなものだった。
 先週まで仕事が忙しかったうえに神戸で大きなパーティが連続して2回あり、どちらも司会役をしなければならなかった。その打合せのために仕事を終えた夜に神戸まで足を運び、それを含めて計4回会場に行った。肩書きを間違えられない来賓の多い会の司会に自分で思っていた以上に身体的にも精神的にも疲れてしまっていたのだった。
 翌日からの雨の予報を見て気持ちが沈み込み、その中を職場まで自転車を漕いで行くことを想像するだけで憂鬱になり、どうしても気力が出せない状態だった。

 そのときに、ふと、自転車を買い替えようか、と思ったのだった。
 駅の駐輪場から自転車を押して、すぐ前にできた新しい自転車屋さんに行った。種類はそれほどなく、赤い自転車に目を留めるとお店の人が試乗してみますか、と言ってペダルを取り付けてくれた。一部が黒とツートンになった若い女の子が乗るような自転車である。
 27インチで前のよりも大きかったが乗ってみると違和感はなかった。ただその赤さに少し抵抗があった。
「この赤い色が派手じゃないかと思うんですよ」
と言うと、店員はそれほど強くおしてこないで、
「もう少し迷いますか」
と言った。
 私が店に入ってから次々お客さんが来て忙しそうだったし、なんとなくあまり迷いたくなくて、その自転車に決めた。
 
 まさかそんな自転車に乗ることになるとは想像もしていなかったが、こういう縁だったのだろう。黒いかごと傘立てを付けてもらい、さっきまで乗っていた自転車をその場に残して私は新しい自転車に乗って家まで帰った。
 
 デザインがしっくりときていなくても、新車というだけでテンションは上がる。翌朝の雨の中もうきうきしてペダルを漕ぎ出すことができたのだった。思えば前の深緑の自転車はしっかり者で控えめで知的なイメージがあった。新車は元気でお洒落で気が若い、という感じである。
 それはそれでいい。この自転車に私の次の10年を委ねることに決めたのである。

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インスタグラム

 インスタ映えする、という表現を最近よく耳にする。インスタグラムとは、私、こんなに素敵な場所に行ったんですよ、とか、こんなに美味しそうなものを今から食べます、とか、みんなが興味を持って羨ましく思うような写真を撮って公開するスマートフォンのアプリである、という漠然とした知識だけは持っていた。
 しかし自分とは無縁のものということだけは確信していたのだった。
 
 それを始めることになったのは、私のトールペイントの師である古屋加江子先生のニセモノ(デザイン者名を明記していない)作品がインスタ上に溢れているので何とかしてほしい、という生徒さん達の訴えがあり、先生がご自身の作品を一作ずつ順番に公表(アップ)されることになったからだった。みんなで先生をフォロー(登録して応援)しましょう、という流れになったのである。

 8月はじめに東京の教室に行った際にスマートフォンに詳しい教室スタッフの人に教えてもらいながらインスタグラムをダウンロードして登録した。それで先生の作品を毎日眺めて楽しめるようになったのである。あっ、いいな、と思ったら「いいね」という意味のハートボタンを押し、感想も送れて簡単にコミュニケーションが取れるし、他に「いいね」を送った人のページも気軽に見られるという仕組みを新鮮に感じた。必要に迫られて始めてみると案外おもしろかった、というこれはおばさんが新しいことにハマるときのひとつのパターンかと思われる。
 
 そのうちに、この場を使って自分でも何かできるのではないか、と考えるようになった。それでネットでインスタグラムのやり方を検索してハッシュタグ(♯)の付け方などを勉強した。私はピーターラビットが大好きでもう30年近くグッズを集めたり自分で作ったりしてきた。そのなかにはとてもめずらしい物もある。それらを写真に撮って整理しながらアップしてみようと思いたったのである。
 作者のビアトリクス・ポターに関わるものもたくさんあるし、実際にイギリス湖水地方を訪れたときの写真も山のようにある。自分にとってとても価値があるけれど、周囲にはそれほど感動してもらえなかったそれらのものを、「私、こういうものに惹かれるんです」という感じで発信してみることにしたのだった。
 
 映りの悪い写真を修整し、説明は英語と日本語で書き、検索のきっかけになるハッシュタグ(#)も英語と日本語で表記した(これは英語の勉強にちょうどよかった)。一番初めはトールペイントの講師資格試験に提出したピーターラビットシリーズの絵本をテーマに描いた作品を選び、その後は湖水地方を描いた自分の作品と参考にした風景写真などを順にアップした。おそるおそるやっていたが、♯湖水地方 には美しい風景写真を集めている人達が「いいね」を押してくれるし、#ハンドメイド には手作り好きの人達が反応してくれた。
 少しずつではあるけれどフォロワーが増えていき、特に外国の人が多いことに世界とつながっている感覚が得られた。♯ピーターラビット に「いいね」を送ってくれた人のページを見てみるとかなりのピーターコレクションが並んでいて驚愕することもあった。これは日本の人が多いけれど、感動を覚えるほどのマニアの存在を知ることができたのだった。そして、ピーターファンの人のページに「いいね」をしている人のページを見ると、またピーターの写真が並んでいて、それに「いいね」を送ると、その人が私に気づいてページを見てくれるという連鎖が起こるのである。
 
 フォロワー20数人の小さな世界ではあるけれど、自己表現の場のひとつだと思う。
 ただ、一度だけ、孫娘のお食い初めに用意された鯛とお寿司があまりに豪華だったので、つい写真をアップしてしまったことがある。ピーターラビットとはまったく無関係の写真である。
 けれど結果的に、この、♯sushi とタグをつけた写真が私のページのなかで最も多くの「いいね」を獲得したのだった。

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細胞が入れ替わる

 人の細胞は日々入れ替わる、という話を聞いてから、最近よくそのことを考えている。
 血液は4ヵ月、骨は3~5年というふうに、各臓器によって周期は異なるけれど、すべてひっくるめるとほぼ6年で何もかも入れ替わるそうである。
 つまり6年で人は別人になってしまうわけである。
 
 息子が幼い頃、「ママー」と言って追ってくる姿が本当に可愛らしくて、その姿を私は今でもよく思い出す。それが中学生になった頃からだんだん変化していき、今では全くの別人のようになってしまった。あの愛らしかった男の子はいったいどこへ行ってしまったのだろう、と考えずにはおられない。
 それが正常な成長過程なのだとわかっていても、あの子がこうなるか、という変わりようにはため息が出るのだった。
 しかし、ああこれは細胞が入れ替わったのか、と思うと納得できる。
 
 赤ん坊の息子をベビーカーにのせていた頃、二歳上の娘はベビーカーのステップのところに立つのが好きだった。その二人が乗ったベビーカーを押して、駅前の楽器屋さんへピアノ教室の申し込みに行った日のことが、なぜか強く印象に残っている。私が子どもの頃に弾いていたピアノを結婚の際に持ってきていたので、娘のレッスンを始めようと思いたったのだった。
 
 あとになって、そのときのことを思い出して、子ども達があの日にもどることはもう決してないのだな、と実感したのである。発見したと言ってもいいかもしれない。時間は進むばかりでうしろにはもどらない。若い頃は前ばかり見ていたのでそんなことを考えたこともなかったのだった。
 その日の私は生成りの七分袖のサマーセーターにグリーンのギンガムチェックのギャザースカートをはいていた。独身の頃から着ていた洋服である。どちらの服も今はもう処分してしまって手元にはない。私自身も細胞が入れ替わって、昔とはかなり変わっているということである。
 
 少し前に現在のジュリー(沢田研二)の写真を見る機会があった。私が小学生の頃に彼はトップスターの座に君臨していた。その頃の私はあまりスターやアイドルに興味がなかったが、当時の映像を見ると、こんなにきれいで魅力のある存在だったのかと今さらながら感動を覚える。もし、今、こういう人がいたらきっと胸が苦しくなるくらい好きになってしまいそうである。
 現在のジュリーはかつての自分について、あれは自分じゃない、親戚の子だ、と冗談めかして言っているということだが、その気持ちはわかる気がする。
 
 時間の流れは容赦がない。私たちは細胞の入れ替わりを受け入れていくしかない。
「時の過ぎゆくままに」この身をまかせていくのである。

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家が好き

 お盆休みはどこかへ行くの? と職場の若い同僚にたずねると、どこも行かずにずっと家にいるという答えだった。彼女は独身でひとり暮らしである。
「わたし、家が好きなんです」
と瞬きもせずに言った。それで休みの間、ずーっと一人で過ごして、それがとても楽しいのだという。
 
 きれい好きな彼女はてきぱきとよく動く人である。おそらく自分の部屋を自分好みにしつらえて、快適な空間を作り出していることだろうと容易に想像できる。気のすむまで片づけて掃除をして自分の好きな物を買い揃えて、妥協することなく、自分の思うように暮らしているのである。
「家にいたい」 
 私も近頃、よくそう思う。用事や仕事で外に出ていても、それらが終わるとすぐに家に帰りたくなる。とにかく一刻も早く家の台所の椅子に座って一息つきたい気持ちになるのである。
 お盆休みの後半の三日間は、息子が旅行に出かけたので全く一人で過ごした。少し風邪気味だったこともあって、何ひとつ予定を入れなかったのである。
 まず家じゅうの掃除をした。不必要なものを捨て、自分の好きなものだけをそばに置き、好きなように物を配置して好みの絵を飾る。思うままに庭先の花をガラス瓶に生ける。誰にも遠慮せずにお気に入りの椅子に座ってやるべきことの時間配分を決める。すっきりと片付いた好きなものだけがある部屋を見ているだけで快適な気持ちになるのである。
 家の小ささや古さは関係なくなる。高価なものもいらない。気持ちに余裕ができるので料理も丁寧にするようになる。たくさんの種類の野菜を使って手をかけて自分の好物を作った。
 静かなほうが私はより自然でいられるのでテレビや音楽は消したままである。身体にも心にも無駄なものがひとつもないような感覚になっているような気がした。
 眠るときはちょっとこわい気持ちがするけれど、二晩めになると少し慣れてくる。おそらくこれが続けば完全な独り暮らしにも慣れていくのだろう。
 
 この快適さは平日にしっかりと働いた賜物である。私にとっては家族が帰ってくることが前提のものだと、その自覚はある。
 子ども達が幼かった頃、年に数回、一人で出かけることがあった。同人誌の合評会や同窓会などで、その時は夫に子どもらの世話を頼み、ここぞとばかりに夜遅くまで母親の役割がはずれた時間を楽しんだのだった。早めに用事が終わったときなどは家の近くのお店に一人で寄ってマスターとの会話で時間を過ごしたものだった。
 その頃は、まだもうちょっとだけ、家に帰りたくないなぁ、と思っていたのである。
 
 状況は変わるものだな、というのが結論である。
 私には三日間くらいがちょうどいい感じだけれど。

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